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2011年8月

2011年8月28日 (日)

日本の少数民族ウィルタについて

はてなブックマークでウィルタ民族について検索したら、2ちゃんのこんなスレが出て来た。


http://unkar.org/r/geo/1141144110


内容があまりにも酷いので、一応はてなにも批判のコメントを書いたけど、はてなブックマークは100字までしか書けないのでもう少し詳しく書きたい。


批判を書く前にウィルタ民族について概略触れると、ウィルタはサハリン(樺太)の先住民。
サハリン及び沿海州のアムール川河口付近を生活領域として古来トナカイと共に移動しながら生活して来た遊牧民。


日露戦争後に日本が南樺太をロシアから割譲されたので、北緯50度線を境に北がロシア領(ロシア革命後はソ連領)南が
日本領に分断された。


しかし日露間の取り決めにより、遊牧民族ウィルタと狩猟民族ニヴフは自由に移動しながら生活して来た生活形態を考慮して、従来通り南北樺太を自由に移動して良いとされた。


しかし日本政府はこの取り決めを利用してウィルタ・ニヴフにソ連内の様子を探らせようと考えた。
南樺太内のウィルタ・ニヴフはオタスという地に集められ、許可なくオタスの外に出ることを禁じられた。


こうしてオタスでは陸軍特務機関によるスパイ訓練が行われた後、北樺太に送りこまれた。


このため、第二次大戦が終わった後、彼らはソ連から追放されて、本来の生活圏だった樺太に住むことを許されず、北海道の網走郊外に住むことになった。


彼らをスパイとして利用して、結局故郷を追われるような事態に至ったことについて、個人的に謝罪した元特務機関将校は居るが、日本政府は彼らが戸籍登録が行われておらず日本国籍を持っていなかったことを理由に、一切の賠償を拒否している。


現在サハリン及び沿海州には300人余りのウィルタが居るとみられ、一方北海道に住むウィルタは数十人程度。ニヴフはサハリン及び沿海州に2000人程度、北海道にはウィルタと同数程度と思われる。


60年代頃まではウィルタはオロッコ、ニヴフはギリヤークと呼ばれていた。いずれもアイヌが彼らを呼ぶ時の呼称だが、見下したニュアンスがあるとして70年代以降、それぞれウィルタ、ニヴフと呼ぶようになった。


かつて伊藤久男の歌でも知られた『オロチョンの火祭』のオロチョンは実はウィルタの事で、アムール川中流域に住むトゥングース系民族オロチョン族とは無関係。かつてロシア人がオロチョンとオロッコの区別がつかずどちらもオロチョンと呼んでいた誤りを一部の日本人も踏襲したという事と、オロチョンの方が語呂が良いという事で「オロチョンの火祭」と名付けられたようだ。
ただし、この祭りは網走市観光局の創案によるもので、もともとウィルタには火祭りという行事は無い。


戦時中にスパイとしてソ連領内で活動し、戦後は戦犯としてシベリアに抑留された後、北海道のウィルタ集落に送られて、ウィルタのリーダー的存在になった北川ゲンダーヌ氏が語ったことを田中了氏がまとめた『ゲンダーヌ』という本がある。(1978年、現代史出版会発行)
ウィルタについて語るなら最低限この本に書かれている程度のことは知っておいて欲しいと思う。


長くなったので、問題のスレに対する批判は次回にします。

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2011年8月 6日 (土)

流浪の旅

大正10年(1921年)に作られ、当時の艶歌師たちによって歌われた『流浪の旅』という歌がある。


 ☆流浪の旅
   作詞作曲
    宮島郁芳
    後藤紫雲


流れ流れて落ち行く先は
北はシベリア南はジャバよ
いずこの土地を墓所と定め
いずこの土地の土と終わらん


きのうは東今日は西と
流浪の旅はいつまで続く
果てなき海の沖の中なる
島にても良し永住の地欲し


思えば哀れ二八の春に
親のみ胸を離れ来てより
過ぎ来し方を思いて我は
遠き故郷のみ空ぞ恋し


(一部の歌詞が違う別ヴァージョンもある)


鶴田浩二が歌ったこの歌がYouTubeにアップされているせいか、この歌をアジアを股に掛けて放浪する気宇壮大な国士の歌であるなどというトンデモない解釈をしているネトウヨ君が居たのには呆れてしまった。


この歌は松永伍一の『日本の子守唄』に収められていて、からゆきさんを歌った歌であると明記されている。


三番の歌詞の「二八」とは二+八で数え十歳のこと。
「お月さんいくつ十三七つ」と同類の表現だ。
つまりこの歌の主人公は僅か数え十歳、小学校三、四年生相当の幼さで海外の売春宿に売られたと告白している。
もちろん数え十歳で売春が出来る訳は無く、初めは小間使いとして使われたのだろう。


貧しい家の娘が幼い身で親の家計を助けるために身売りされて行く…そんな悲惨な現実を歌ったこの歌が国士の歌と解釈されていようとは作者もあの世で苦笑しているだろう。

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